つきこさんと16歳年上の僕2002の6番目

2002年の佐粧隆と知神翼の、昔の話


佐粧隆と僕の話はどっちみち長くなりそうだし、みんなお腹は空いている。

知神君持参の「釜で焼くお店のピザ」が冷めないうちに食べた方がいい

ということで【食べながらの話】になった。

食べながら足の話だ。

ニオイもしないし僕の知らない世界の話だから何も気にならない。

知神君が言葉を選んで昼の出来事を簡単に説明してくれたおかげだ。


肝心なことは(佐粧隆のその時の気持ちなどは)全くわからないまま。

ここにいるのに本人が話さないんだから放っておこうかと。

さっきまでは、なんとなーく聞きたかったんだけれど【まだ】だな。


「なんだ。強気に出なかったのは恩人の息子さんだからなんだね?

いつもならそんなふうに【足がクサい】なんて言われたら、隆君は

謝ったりしないんじゃない?」


「まあ確かに恩人のお子さん。昔、母の知り合いの家で親類でも

ないのに1週間も泊めてもらって食事もお風呂も世話になった。

あの頃も今も急に宿は手配できないでしょう?おまけに楽器も持ち込んで

練習してもいい場所なんて、まあ探せなかったから。御厚意に甘えたよ。

タナカジャパニーズソングコンクールの神奈川大会に関係する予定になってね」


「佐粧さんもタナコンに出ていたなんて!わたしはお友達もいなくて、1人だと

何をどうやっていいかもわからなくて、応募も出来なくて、青春終了。応募も

しないのに、決勝大会はテレビで見ていましたよ」


*タナコン:タナカ・ジャパーニーズソング・コンクール

田中音楽主催のジャパーニーズソング・コンクールの略。日本在住の日本人の作詞

作曲であれば、英語の歌詞でもかまわなかったはずだが。


僕もつきこさんの話は聞いた。つきこさんて夢がいっぱいあったんだな、

可愛いなと思う。だが、現在ギタリストたちに守られながら、音楽ネーム

(特定されないように)で、誰にも見つからずに【声】や【エレキベース】で

年1のライブに間接的にも直接も参加しているつきこさん。Adalheidisとだ。

タナコン参加歴なくても素晴らしいよ。


知神君は高3の夏に【熱海予選2位】で本選に呼ばれる可能性のある

待機だったという。その時誰かの目に留まっていたら隆君に早く出会えたとは

思う。たぶん。でも知神君は当時の仲間と何かやりたかった頃だよね。


【知神君とタナコンの話】は後で、貼り付けに来ようと思う。


「神奈川から本選に行く代表が数人いて、僕は高2の男子生徒の練習相手。

僕はもう日当もらう講師だったから、姫ごめん。僕はタナカに出場したのは

皆がまだ、全くタナコンを知らない時なの。それはまた話してあげるから、

僕にあとで、ねだってね。知神君達はたぶん東京予選から遠ざけられたんだ。

きっと決勝にも行けたと思うけれど、今考えると落ちてくれていて良かった。

思うよ。本選に来た子は見てたよ大学卒業してから10年位はね」

(知神翼は33歳位の時にAdalheidisのギタリストとしてデビュー。

18歳から働いていた自動車会社の、自動車整備士からの転職は見事だった)


大人の事情なのか応募者の中のイチ押しを【タナカ】で決めているのか、

出身地とは関係なく予選の地は決められている様だ。

知神君を東京予選に出して10位以下にするのは惜しいと考えた人もいたはず。

(東京は厳しかった。都市部と23区の1位がまた戦って疲弊するらしい)

熱海で3位以内は本選、決勝に来られる可能性があったらしい。

これは佐粧隆の受け売り。よくわからないが8位入賞が実質その年度の

優勝とか、実力だけでもなく楽器の腕だけでもないのだとか。


「神奈川で、タナカのジャパコンの時お世話になった家のお孫さん?」

年齢が何だかもやもやする。

そのとき30代の息子がいれば今、もう成人だから謎だ。

彼が隆君に【今日】足がクサいって言った【よそのプロダクションの】

男性なのだ。僕は下世話?な話を突っ込んで聞きたいわけではないのに。


「息子。僕が行った頃はそこのおじさん独身だったんだよ。たぶん姫が

7歳位の頃だよね。僕が大学卒業した年か次の年。家政婦さんがいる家で

僕にはとってはもうビックリするくらい毎日のご飯が美味しくて。

ここに下宿したらご飯が楽しみで真面目になるだろうなって思ったんだ。

でも1年後におじさんは結婚して、同時に赤ちゃんが生まれた。あのおじさん

55歳まで独身でね、もうずっと独身だと思っていたのに。

お相手がいなさそうな叔父さんだった。電話したら、あの時のご飯の

上手な家政婦さんと一緒になっていたんだ」


「ええええええええええ?家政婦さんて、隆君がお世話になった時の?何となく

当時で50代後半のイメージで聞いていたから。違うんだね。若かったんだね」


「そう。あの頃僕にはオバサンに見えたけれど33歳位だったみたい。

男の子は、満寿(みつとし)って言うんだ。その子が大人になっていてビックリ。

つまりね孫じゃなくて、夫婦の遅く来た幸せの子供。今はちょっとなんかねえ」


つきこさんがオレンジ炭酸飲料を飲みおえてから言った。

「その家政婦さん、わたしと年変わらないのに。美味しいものをたくさん作れるなんて

すごいねー。子供も旦那さんも嬉しいだろうなあ」


「姫、ご飯が美味しかったんだよ。もちろんカレーライスや野菜の煮物なんかも

出たけれど、ご自慢のお鍋でご飯を炊いてくれて【ごはん】が美味しかったの。

梅干しと少しのフリカケで簡単に山盛り2杯は食べられたんだ」


僕達はたくさん表現したいことがありすぎて、まどろっこしい少しわかりにくい

おかしな表現をすることがある。僕達とはこの4人だ。慣れているから人の話は

よく聞く4人だが、つきこさんの様に勘違いをすることも多い。全員だ。

(徳浜秀行・つきこ 佐粧隆 知神翼)


別の意味にもとれることを言った人間は、修正をすればいいだけ。言い回しは

みな違うのだから。時間の限界までお互いのことを知りたい場合は話すにつきる。

僕は隆君の言った【ご飯の上手な家政婦さん】の「ご飯」は「白いご飯」で、

「炊いた米のこと」だと思っていた。


知神君は【ご飯と言う言葉は、食事、料理のこと】だと思っていたみたいだ。

つきこさんと同じだ。勘違いでも間違いでもないのだ。


隆君の言うことが全てわかる人の方がおかしい様な気もする。


ドライトマトが甘い。トマトとモッツアレラチーズに生のトマトも入っている。

みんなピザの2枚目を食べている。

「知神君、美味しい」


「本当に美味しいね。知神さんありがとう」


「秀行さんとつきちゃんに美味しいって言ってもらえたから安心しました」


「ちーちゃんは自分を信じなきゃダメだよ。このピザ屋さんはとても美味しい。

最近やたらとスパゲティとかピザのお店出来たよね。僕はハンバーグがいい。

昔からステーキをナイフとフォークで切るのは下手だったからね。疲れるもん。

でも、するめの焼いたのは食べられる。子供のころ食べた」


隆君は1人で(または親しい人と)外食でステーキ類を食べる時には、最初から

色々頼んでステーキをあらかじめ細かく切っておいてもらっている。

歯が悪いわけではなくナイフとフォークが苦手な様だ。

もちろん疲れていなければナイフもフォークも見事に使える。


ああ、なんだか隆君が足がクサいと言われた話は遠ざかっていく。


今のところわかっているのは

【ランチの時間、恩人の息子さんの満寿と言う人が隆君に足がクサいと言った。

本日は稽古もなく音楽の仕事も休みで、フルタイムでRosskastanie社の社長の

隆君だった様子。(ヒールのあるブーツを履いていた)。

スーツはセミオーダーで仕立ても良く隆君に似合っていた。

貫禄までは知らないが、よく働き、優雅に見える社長だった。

その隆君に、なかなかはっきりと足がクサいと言った「満寿(みつとし)」。


話はまだ続く