隆のビーフジャーキーの話・3

2からの続き。

ビーフジャーキーは、まだ出てこない。隆の昔話。知神は聞きながら運転。

知神翼:1960年生まれのもうすぐ41歳。佐粧隆:1954生まれ47歳の頃。


「祖父さんの頭の中では僕をどうしようかって色々考えてたみたいだよ。

父は祖父さんの仕事を小学生の時から継がないって決めていた。元々は

【叔父さん】が継ぐはずだったらしいけれど死んじゃったからね。

僕が生まれてきたら【叔父さん】に似ていたとか手足が長いとか、なんだか期待

しすぎて喜んでたらしい。親の希望はね、商社、都立高校の英語教師、銀行員」


佐粧さんがそれらの仕事に就いていたら、ぼくは佐粧さんに会えなかったね。


「祖父さんが卒業までの僕の面倒を見てくれるわけじゃないから。

僕は高校の英語の先生になろうかなって考えてた。高校1年位まではそのつもりで

いた。大学も免許持って卒業した。真面目に色々やっていたからこその今だよ。


確かに祖父さんにとっては孫だし、責任はない。親が困ってしまう様な戸惑う様な

可愛がり方をしてくれたこともある。子供じゃないからこそ祖父さんは無責任に

やってみたかったんでしょう。後から僕が大変な目にあって困っても、父と母に

押し付けちゃえばいいんだから。そういう意味でも祖父さんにとって孫の僕は

とても楽しい子だったと思う。【祖父さんが楽しめる】子だっていう意味」


ご両親は、他人が常にそばにいる職業が【隆】には合っていると思った。

1人だと暴走するとでも思っていたのかもしれない。


色々【覚えるのが】好きな佐粧少年には公務員や銀行員、教師が合っていると

思ったらしい。弁護士は大反対されたとか。現在の佐粧さんは、優秀な弁護士を

頼めるのだから、佐粧さんが弁護士にならなくてもいい。

なれたかもしれないけれど、両極端的な弁護士さんになっていそうだ。


佐粧さんが他の仕事に就いていたら、今のロスカスターニエ社と音楽活動はない。

やだやだやだ。考えたくない。ぼくはいなくなってしまう。


(何になってもどんな会社に勤めていても、佐粧さんは今頃ならば、そうだな、

部長のような立場にいるとぼくは思うけれど)


会社創立して、社長しながら音楽やって。これ以上は無理しないでほしい。


「ちーちゃんは目玉が上下左右よく動くね。綺麗で面白い。もしかして思考が

とまらないの?車運転しているのにすごいねー」


そう言われると恥ずかしい。